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著者:二反長半
発行:すばる書房
発行年:1977年
当時の価格:2800円
昔,神田の古書店で購入したまま読んでおりません。
ケースに入ったまま書架の隅にありました。
表紙の縁にシミが見られますが,中身は特に問題ありません。
但し,段ボール素材のケースは変色しています。
50年前の本としては状態はいい方だと思いますが,なにぶん古い本であることをご理解の上,お求めください。
値段交渉は歓迎いたします。
以下は,Amazonにあるレビューです。
(そのまま掲載させていただきます)
〈ケシ栽培に一生をかけた男〉
日清戦争で日本は台湾を領有したが、台湾島民の吸飲阿片を輸入する金額が莫大で、国費の海外流出が国の経済にまで影響していると新聞で知った音蔵は、上京して日本内地でのケシ栽培阿片製造の必要を建白、それが当時の後藤新平衛生局長によって試作認可された。音蔵は現在の大阪府茨木市にケシ畑を作り、栽培法、採取法、製造法を改善し、回りの農村を回ってケシ栽培を促し作付け面積を増やし、5月になると大阪平野がケシの花の白でぬりつぶされ初夏に雪が降り積もったように見えたという。
音蔵自身は土百姓と呼ばれることを喜び「わいは政治なんちゅうむつかしいことはわからん。やが、国のため人のためになるんやったら、どんなことでもやるんや」と当時の典型的明治青年だった。栽培地は日本内地に留まらず、朝鮮から満州へと広がり、音蔵は昭和9年、13年、18年の3回にわたって満州国から招聘され広範なケシ栽培阿片製造指導に出かけた。しかし阿片栽培は世界から批判を浴び、目立たぬように奥地へやられ、ついには万里の長城を越えて中国熱河省、内蒙古にまで伸びて行った。音蔵は蒙彊自治政府から招かれ、老体ながら国へのご奉公と喜んで蒙古の砂漠地帯まで指導に出かけた。
音蔵は製造された阿片が必ずしも医療や阿片中毒者の撲滅などに正当に使用されるわけではないことは知っていたが、良質で収穫量の多い阿片を栽培製造することがお国のためになると信じて駆け回った。蓄財して私腹を肥やすどころか、指導に私財を投げ打ったために終戦時には自らの田畑、山林は驚くほど減っていた。米軍による戦犯の取り調べも厳しかったが、結局何の罪も着なかった。音蔵は昭和25年76歳で亡くなったが、…
| 商品の状態 | やや傷や汚れあり |
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オススメ度 4.7点
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